3月11日 東日本大震災 → 日常を過ごすということ
今日は、東日本大震災発生当日から10年目ということで、数日前から、メディアを中心として、『節目』 という言葉を何度も耳にしております。 しかし、それは、情報を伝える側が便利に使っているだけで、被災者とその関連する人々から見れば、あくまでも、ひとつの通過点にすぎません。震災被害は、今日も続いていますし、明日からも続きます。

※東日本大震災の後、自粛ムードの中で発行した「週刊ピロートーク 2011年3月18日号」
同じようなことは、新型コロナに関する報道や政治・行政の行動からも見てとることができます。 ウィルスにとっては、都県境の存在も、リーダー同士の駆け引きも関係ありません。それは、人間が後から決めた境界線やパワーバランスです。そのような歪んだ構造から発せられるメッセージについて、自分で考えることを止めた国民が黙って身をすくめている様子は、私には奇異にしか見えません。自分の頭で考えることを止めた時、その先に何が見えるのかということを、“日常が非日常に変わった3月11日”をキッカケとして、改めて考えてみて欲しいと感じております。
東日本大震災と言えば、多くの方の記憶の中に強烈に残っているのは “津波の映像” だとされております。 確かに、それは、映画の中のワンシーンであって欲しいと感じるような現実でした。 実際、多くの人命も、国民の資産も失われました。 しかし、私が最初に思いを巡らす震災被害は、 『福島第一原発の被害』 です。
それまでは、教科書の中や、科学雑誌の世界、そして遠い異国の地で発生した原子力発電所の事故などでしか目にしなかった言葉、例えば、“メルトダウン”、“放射能漏れ”、“放射能除染”、“被爆” などが現実のものとなって出現したのです。 さらに、ウィルス系のテーマを扱った映画で見ただけの防護服姿の作業員の姿など、全てがセンセーショナルな現実でした。
そして、「あ、これで日本は終わりだ」と感じたのは、原子力発電所の建屋が爆発した時です。あの時、原発を中心とした一定の地域の方々は、突然にして、日常生活を失うことになりました。ほんの、一瞬のうちに。そして、その影響は、今日も続いております。地元に戻ることができない方々が大部分ですし、冷却に使った処理水は未だに最終処理の仕方が決まらないままに日々溜まっているだけです。政府与党は、この問題を、先送りし続けているだけです。
破壊された原子炉を廃炉にするための基礎技術は、実は、現時点において存在しておりません。これは、処理水を海に流すかどうかという議論とは次元が違う話です。そもそも、人類は解決策を持っていないのです。つまり、その技術開発が、将来、私たちの子供や孫の世代になって開発されることに期待するしか解決策はないということです。
その子供たちは、これらの見通しが立たない技術開発を任されるという十字架を背負わされていることに加えて、迷走する政府の新型コロナ感染予防で使った金銭的負担についても、彼らの世代に繰り越されているという現実の中におります。さらに、その上に、少子高齢化問題を解決できずにいる中で、いや、解決しようとしない中で、社会福祉関連費用も若者世代の肩に重くのしかかっているわけです。
そのような中での、自粛要請モード。最初はお願いだったものが、依頼になり、要請になる中で、給付金や支援金が支払われないままに、今度は命令になるとか・・・。 日本人は優しいのか、自分の頭で考えることを止めたのか分かりませんが、この状態、海外の某国であれば、暴動が起きております。 私たちは、若い世代に甘えすぎていないのでしょうか。

※東日本大震災発生当日の「週刊ピロートーク 2011年3月11日号」
このコンテンツを公開した数時間後に、大震災が発生しました。
かつて、東京オリパラ20202を承知するためのプレゼンテーションの中で、当時の安倍首相は、世界に向かって、福島の原子力発電所に関して、高らかに、こう宣言しました。
「(福島原発は) Under Control 」
だと。
普通に自宅での時間を過ごす、普通に仕事に出かける、普通に食事の用意をする、普通に公園までの散歩を楽しむ、普通にセックスライフを楽しむ・・・、そういう日常が、ある時を境として、失われる。そんなことが現実に起きる可能性があることを思い出し、今日この時を普通に過ごせていることに感謝したい、そんな朝になりました。
追伸)
今朝、iPhone に、OneDrive から、『この日』 と題する過去の写真が集められてお勧めされてきました。 つまり、過去の3月11日に撮影した写真ということです。 これを眺めていると、なかなか興味深いことが分かります。
★2020年

ワインのお店で♪

3回目の預言カフェ♪
★2013年

「セックス48手 撮影現場報告」をリリース♪
↓
そう言えば、セックス48手のサイトを開設するために、素人女性モデルに協力していただいたのが2008年。
おかげさまで、長いお付き合いをさせていただいたおります(#^.^#)。
→ 2008年に撮影した写真から「つばめ返し」。この後、筋肉痛に・・・。
★2006年

この頃は、複数プレイが流行しておりました・・・。
スポンサーサイト


※東日本大震災の後、自粛ムードの中で発行した「週刊ピロートーク 2011年3月18日号」
同じようなことは、新型コロナに関する報道や政治・行政の行動からも見てとることができます。 ウィルスにとっては、都県境の存在も、リーダー同士の駆け引きも関係ありません。それは、人間が後から決めた境界線やパワーバランスです。そのような歪んだ構造から発せられるメッセージについて、自分で考えることを止めた国民が黙って身をすくめている様子は、私には奇異にしか見えません。自分の頭で考えることを止めた時、その先に何が見えるのかということを、“日常が非日常に変わった3月11日”をキッカケとして、改めて考えてみて欲しいと感じております。
東日本大震災と言えば、多くの方の記憶の中に強烈に残っているのは “津波の映像” だとされております。 確かに、それは、映画の中のワンシーンであって欲しいと感じるような現実でした。 実際、多くの人命も、国民の資産も失われました。 しかし、私が最初に思いを巡らす震災被害は、 『福島第一原発の被害』 です。
それまでは、教科書の中や、科学雑誌の世界、そして遠い異国の地で発生した原子力発電所の事故などでしか目にしなかった言葉、例えば、“メルトダウン”、“放射能漏れ”、“放射能除染”、“被爆” などが現実のものとなって出現したのです。 さらに、ウィルス系のテーマを扱った映画で見ただけの防護服姿の作業員の姿など、全てがセンセーショナルな現実でした。
そして、「あ、これで日本は終わりだ」と感じたのは、原子力発電所の建屋が爆発した時です。あの時、原発を中心とした一定の地域の方々は、突然にして、日常生活を失うことになりました。ほんの、一瞬のうちに。そして、その影響は、今日も続いております。地元に戻ることができない方々が大部分ですし、冷却に使った処理水は未だに最終処理の仕方が決まらないままに日々溜まっているだけです。政府与党は、この問題を、先送りし続けているだけです。
破壊された原子炉を廃炉にするための基礎技術は、実は、現時点において存在しておりません。これは、処理水を海に流すかどうかという議論とは次元が違う話です。そもそも、人類は解決策を持っていないのです。つまり、その技術開発が、将来、私たちの子供や孫の世代になって開発されることに期待するしか解決策はないということです。
その子供たちは、これらの見通しが立たない技術開発を任されるという十字架を背負わされていることに加えて、迷走する政府の新型コロナ感染予防で使った金銭的負担についても、彼らの世代に繰り越されているという現実の中におります。さらに、その上に、少子高齢化問題を解決できずにいる中で、いや、解決しようとしない中で、社会福祉関連費用も若者世代の肩に重くのしかかっているわけです。
そのような中での、自粛要請モード。最初はお願いだったものが、依頼になり、要請になる中で、給付金や支援金が支払われないままに、今度は命令になるとか・・・。 日本人は優しいのか、自分の頭で考えることを止めたのか分かりませんが、この状態、海外の某国であれば、暴動が起きております。 私たちは、若い世代に甘えすぎていないのでしょうか。

※東日本大震災発生当日の「週刊ピロートーク 2011年3月11日号」
このコンテンツを公開した数時間後に、大震災が発生しました。
かつて、東京オリパラ20202を承知するためのプレゼンテーションの中で、当時の安倍首相は、世界に向かって、福島の原子力発電所に関して、高らかに、こう宣言しました。
「(福島原発は) Under Control 」
だと。
普通に自宅での時間を過ごす、普通に仕事に出かける、普通に食事の用意をする、普通に公園までの散歩を楽しむ、普通にセックスライフを楽しむ・・・、そういう日常が、ある時を境として、失われる。そんなことが現実に起きる可能性があることを思い出し、今日この時を普通に過ごせていることに感謝したい、そんな朝になりました。
追伸)
今朝、iPhone に、OneDrive から、『この日』 と題する過去の写真が集められてお勧めされてきました。 つまり、過去の3月11日に撮影した写真ということです。 これを眺めていると、なかなか興味深いことが分かります。
★2020年

ワインのお店で♪

3回目の預言カフェ♪
★2013年

「セックス48手 撮影現場報告」をリリース♪
↓
そう言えば、セックス48手のサイトを開設するために、素人女性モデルに協力していただいたのが2008年。
おかげさまで、長いお付き合いをさせていただいたおります(#^.^#)。
→ 2008年に撮影した写真から「つばめ返し」。この後、筋肉痛に・・・。
★2006年

この頃は、複数プレイが流行しておりました・・・。
- 関連記事
-
-
【4月1日】 新年度スタート、エイプリルフール 2021/04/01
-
本日3月31日をもって、さようなら with 感謝♪ 2021/03/31
-
空港の手荷物検査場で、フェアリー&ローター・・・(;'∀') 2021/03/31
-
3月11日 東日本大震災 → 日常を過ごすということ 2021/03/11
-
金魚草♪ 2021/03/10
-
福原愛ちゃんの不倫報道に異論あり! 2021/03/07
-
先日の茶会、おつかれさまでした。 2021/02/27
-

[PR]
