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死という最後の未来

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石原慎太郎さんの新刊 『死という最後の未来』 、興味深く、拝読させていただきました。 



 外形課税の導入などで法人地方税に関しては重税感を感じた記憶などがあり、政治家としては好きなタイプの人物ではありませんが、作家としては お気に入りに登録された方 であります。 今回、久しぶりに、曽野綾子さんとの共著という形ですが、新刊が発売されたということで、手にしてみました。

 いわゆる、死生観がテーマになるわけですが、『死んだら終わり』 という石原氏の言葉は、私自身のイメージとぴったり一致していて、それだけでも、満足であります。 同じ考え方の人がいたんだ♪、ということで。

 親戚が集まる葬儀や法要で、特に、僧侶が目の前にいる時などは、自然の流れとして、来世の話になったり、今頃は天国でどうしているとか、天国と地獄があるという話になったり、・・・そんな場面があります。そんな時に、私に話が振られると、「死んだら、それで、おわり。後は何も無し」なんて返事をするものだから、元も子もないヤツということで、いつも、笑い飛ばされておりました。

 著書の中で、曽野綾子さんは、「死ぬことは始まり」という話をされていて、石原さんとのコントラストが興味深いのですが、私は、“死ぬことは始まり” であったら、それは、疲れるな・・・と考えておりました、小学校5年生の頃から。

 故人に対して、
 「安らかにお眠りください」 とか
 「ゆっくり、やすんでください」 とか参列者が言うのを聞いていたし、
 そもそも、永眠と表現される。

 ここが始まりだったら、永眠できないな~と考えていたわけです。 したがって、私の辞書を繰ってみると、そこには、“死んだら、そこで、全部終わり” と書いてあります。

 
 もっとも、マジョリティーは、曽野綾子さんの考え方に近いのだろう、つまり、あの世、来生があるのだと、ぼんやりでもイメージしているのだろうと考えております。 死後の世界を、より良く生きたいと考える人がいるから宗教観が意味を持つのだろうし、その周辺にはストーリーが生まれるだろうと考えています。

 仮に、来世があるとして、それは、死んだ時を最初のエンディングだとしたら、それが、「一話完結型のドラマ」なのか、「続く・・・で終わる連続ドラマ」なのかで、その先には大きな違いがあります。 病院のベッドで、無数の管が繋がった状態で死んだとして、その状態から来世が始まったら嫌だな…と。 それなら、一話完結型として、第二話が始まる方が良いのかなとか。それなりに考慮すべき点はあります。

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 そうそう。
 以前、プラスH関係のガールフレンドとお泊り温泉旅行に行った時の話。 カーテンを閉めずに眠ったので、翌朝は自然光が差し込む中で目が覚めました。ぼんやり意識が戻って来たとき、最初に見えたのが、部屋の露天風呂と、その周辺に広がる緑、そして、空と海の青・・・。 絵葉書にしたいような風景でした。

 気が付けば、自分の部屋とは違う寝具に包まれていて、それは純白・・・。

 「あれ? ここはどこ?」 と考えたと当時に、頭に浮かんだ言葉が、
 「あれ? 俺、死んだ?」 

でありました。 そういう意味では、「死んだら終わり」と考えつつ、頭の片隅には、「来世」という概念が住んでいるのかもしれないと感じた瞬間でありました。 

 ただ、それは一瞬の出来事。 私の隣には、窓から差し込む朝の陽ざしを浴びて白く、キラキラ光る綺麗な裸身がありましたから、やっぱり、そこは現世でありました。


死んだら終わりですから、死ぬまでは後悔しないように、本年120%で生きることにします。

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