人生は限られた1回だけ・・・

(C)NHK NEWS WEB
1995年1月17日に発生した 阪神淡路大震災から25年が過ぎて、今日からは26年目の年に入りました。
それは、午前6時を迎えつつある早朝の時間帯に発生した出来事でした。 その日、オフィスの近くに借りていた都内港区の部屋にいました。 なんとなく目が覚めた時、外の明るさは、夜と朝の中間といった状態でした。 目覚まし時計代わりにTVのスィッチを入れた時、早朝のニュースがオンエアされていました。
その時に入って来たのが、テロップだけの、ブレーキングニュース。 その時は、まだ、近畿地方で大きな地震が発生したという一行だけでした。その後、その地震発生地は、大阪、神戸だということでした。 正直なところ、私は、「あ、大きな地震があったんだな~」位の受け止め方をしておりました。
それから、しばらくして、TVの画面に映し出されたのは、崩れて横倒しになった阪神高速道路の映像と、高速道路から落ちかけている1台のバスの映像でした。
一瞬、これは、夢かと思いました。
実際、夜と朝の間の時間帯を少し過ぎただけでしたから、夢だとしても不思議はありません。 そして、その後、今度は、火災が発生している神戸市長田区の映像がオンエアされました。 これは、初めてみる衝撃的な事実でした。 この時間帯になると、ようやく報道各社のヘリコプターからの映像がTVに映し出されるようになりました。 実際、被災地に繋がる幹線道路は遮断されていたので、取材チームや調査チームが現地に入ることはできていませんでしたから、上空からの映像が唯一の情報でした。
交通も通信も遮断され、現代のように携帯電話で簡単に動画を送ることができるような時代でもありませんでしたから、まさに、現地の情報を知るための方法は、限られたものになります。それでも、その時間帯になれば、大変なことが起きているということは、
【被災地以外にいる人々には分かるようになっていました】。
今何が起きているのか、対策はどうなっているのか、物資の状況は・・・、そういった情報が、少しずつ、分かってきました。
しかし、しかしです。
そういった情報を最も必要としているのは、被災地のど真ん中にいる人々なのです。 しかし、そこに、現状を知る情報が届くことはありませんでした。とにかく、道路も通信も電力も遮断されているのですから・・・。
1月17日の午前中、被災地がかつて経験したことがないような大惨事のど真ん中にいる頃、そこから電車で数十分移動した先にある大阪周辺には、いつもと変わらぬ生活風景がありました。 その時、被災地では多くの人命が失われていること、現在進行形で失われつつあることを知る由もない周辺地域には、いつもと変わらぬ生活がありました。 それは、日本全国についても同じです。 まるで、TVのドラマを見るような感覚で、多くの国民は、空撮映像を見ていたのです。 そこには不思議な感覚がありました。
この阪神淡路大震災をキッカケとして、人生観を一変させた友人がたくさん存在します。IT系ベンチャー企業を起業して、その後、今では、日本の財界にまで影響力を持つようになった若手経営者Mさんもそのひとりです。 そして、そこに共通する 『人生観を変えるに至った共通のワード』があります。 それは、【人生はたった一度。やりたいと思ったことは実行する。そこに悔いなし】ということです。
それは、日々の生活だって、性活だって同じことです。
「これで良いのか~、悔いはないか」とモヤモヤを感じていることがあったら、勇気をもって一歩を踏み出すことも選択肢のひとつなのだと考えています。
自分はもういいや、諦めよう・・・、そう考えた時が終わりです。
5年ぶりに来た神戸のホテルから
佐藤麻亜宮
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