FSCに託した願い#15 パートナーをシェアするという考え方

前の記事からの続きです。結婚したことを理由としてセックスライフを諦めることほどモッタイナイことはないと考えています、私は。食欲を満たすのが食欲、眠いな~と感じた時には睡眠欲、これらと並べて紹介されるのが性欲です。ここで、ある既婚女性が言った言葉を思い出しました。彼女は長期のセックスレス状態にある人妻でした。アラフォーの彼女は、まだまだ、女性としての魅力に溢れた素敵な方でしたが、ご主人が触って来なくなったことを理由としてセックスレス状態にありました。彼女は、こう言いました。
「食欲と睡眠欲は生きる上で必須のものですけど、性欲は我慢できるもの。嗜好品的なもの」であると。しかし、それは、言葉とは裏腹に、自分を納得させるためのものでした。さて、本当に、「セックスしたい」と考える気持ちは、生きる上で必ずしも必要なものではないのでしょうか? おそらく、その言葉はNOです。人生にはメリハリが必要です。一気に駆け抜ける時期があればスローダウンし、ある時には休息することも必要です。海岸に行けば、波は、寄せたり引いたりします。人間の心と体も同じです。時にはスキンシップと心の結びつきによって、リフレッシュし、癒されることが必要です。
考えてもみてください。他人の前で全裸をさらし、その肌に触れられ、時には舐められたり吸われたりして、ついには、性器までを目の前に晒し、そこに触れられ、ついには、性器と性器を擦りつけ、体内に一方の性器を挿入する、そして体液の交換をする・・。客観的に見ればとんでもない行為です。恥ずかしいとか、そういうレベルではありません。それでも、好きな相手を前にすれば、そういうことをしたくなる。なぜでしょう? それは、人間にとって必要であり、心と体の満足と癒しを提供してくれるからです。それは、後付けのルールを超越したものです。
愛人関係や不倫関係には限界があります。前の記事で書いたとおりです。だからと言って、不特定多数と肌を合わせることには抵抗があります。それは、あきらかに異次元の行為です。どこのだれか分からない異性と肌を合わせることと、好きだと感じている異性と肌を合わせることは、明らかに異なる行為です。フリーセックスは風俗利用とは違いますから、私がテーマとしているものは後者です。そして、そこには限界があるということを申し上げてきました。
不倫にハッピーエンド無しということ、週末にデートするために毎日の生存確認メールをすることの問題意識、そして、いったんは燃え上がった不倫愛といえども、それが冷める時が来るということなどなど、限界は様々存在します。そこで、考えついて実行したことが、『セックスできるパートナーをシェアする』という考え方です。少なくとも主宰者にとっては身元がはっきりしていて特定されている個人がコミュニティーを形成し、そこではパートナーを共有するということです。不特定多数ではなく、『特定複数、特定多数』という考え方です。これにより、毎日の交信を行うことなく時々の集いにおいてのみ、セックスできる関係を活用できるわけです。限られていることが重要です。
日々の連絡というコミュニケーションの役割は、例えば、主宰者のブログやメールで代替できているというわけです。結局、男女ともに、リクルートと日々の情報交換を倶楽部の主宰者が行い、それに基づいて時々、リアルに集合し肌を合わせるというしくみです。顔見知りの異性もいるし、その日が初対面になる異性もおります。それでも共通のプラットフォームは共有しております。これなら、お互いに理解を深めることと、フレッシュな関係を保つことを両立するができます。それが、フリーセックス倶楽部というアイディアでした。
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※次回のテーマは、「フリーセックス倶楽部というアイディア」です。
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